高市早苗と山本拓の結婚歴:2度にわたる結婚の背景と詳細
高市早苗氏と山本拓元衆議院議員は、政界で「おしどり夫婦」として知られていました。その関係がさらに注目を集めるのは、同じ相手と2度結婚したという希少なケースだからです。2人の結婚歴は、政治家としての活動においても、公私ともに話題になりました。
1度目の結婚(2004年9月)
2004年9月、高市早苗氏(当時43歳)と山本拓氏(当時50歳)は結婚しました。9歳の年の差婚ということもあり、政界でも世間でも注目を浴びました。
2人の関係は、特別な運命的な出会いから始まったものではなく、長年の仕事仲間という位置づけでした。しかし、2003年の衆議院選挙で高市氏が落選し、大きなショックを受けた際、彼女を支えたのが山本氏だったのです。山本氏は電話で彼女を励まし、徐々にその距離を縮めていきました。そんな中、山本氏が彼女に対し結婚を前提とした交際を申し入れたことが結婚のきっかけとなりました。
高市氏はこの突然のプロポーズに驚きながらも、「奇特な引き取り手が現れた」として、彼の申し入れを受け入れることにしたと語っています。運命的な恋愛や情熱的な新婚生活というよりも、短期間でとんとん拍子に進んだスピード婚だったのです。結婚式や新婚旅行、同居などの具体的な準備が整う前の結婚だったため、当時の高市氏は40歳を超えての大胆な決断に大きなエネルギーを感じたことでしょう。
離婚(2017年7月)
結婚から13年後の2017年7月、2人は離婚することを決意しました。「政界のおしどり夫婦」として知られていただけに、この離婚の報道は多くの人々にとって衝撃的なものでした。2人は離婚理由について「お互いの政治的スタンスの違い」とコメントしています。
結婚当初、2人は同じ森派に所属していましたが、2012年の衆議院総選挙を境に、それぞれ異なる派閥へと進みます。山本氏は石破派に、高市氏は安倍派に所属し、夫婦でありながら政界で「敵同士」という立場となりました。強い政治信念を持つ2人にとって、派閥の違いは簡単に歩み寄れるものではなく、夫婦間の関係にも影響を及ぼしたのです。
さらに、高市氏が政界で出世を続ける一方で、山本氏が大臣の座に就けなかったことも、夫婦間のすれ違いを生んだ一因とされています。高市氏は離婚について、「主人の我慢の風船が破裂した」と発言しており、夫婦間での圧力や葛藤が積み重なっていたことが伺えます。政治家としての活動を優先し、お互いの信念を貫くために離婚という選択に至ったのです。
再婚(2021年12月)
離婚から4年後の2021年12月、2人は再婚を果たしました。この再婚は、山本氏が2021年10月の衆議院選挙で落選したことが大きな要因となったとされています。政治的スタンスの違いが関係なくなり、再びパートナーとしての関係を築くことが可能になったからです。
興味深いのは、再婚後に山本氏が「高市姓」に変えたことです。1度目の結婚では高市氏が「山本姓」となりましたが、2度目は山本氏が「高市姓」を名乗ることを選びました。これは、2人が再婚するにあたって、新たな家庭の形を象徴するような出来事だったと考えられます。
このように、2人の結婚歴は単なる夫婦の物語ではなく、政治的立場や信念、人生観が深く交差したものでした。異なる派閥に分かれ、信念を貫くために離婚を選んだ2人が、再び手を取り合うに至った背景には、共に歩んできた年月やお互いを支える絆の強さが感じられます。
2人が結婚に至った背景
高市早苗の落選と山本拓のサポート
高市早苗氏と山本拓氏の関係が親密になるきっかけは、2003年の衆議院議員選挙でした。この選挙で落選した高市氏は、深くショックを受け、意気消沈していました。その時、彼女を支えたのが、当時仕事仲間でもあった山本拓氏でした。
山本氏は、高市氏が落選した際に何度も励ましの電話をかけ、彼女の心に寄り添いました。彼の優しさやサポートによって、落ち込んでいた高市氏は徐々に立ち直り、2人の距離は一気に縮まったのです。もともと運命的な出会いではなく、仕事仲間としての付き合いが長かった2人ですが、この選挙でのサポートを通じて、山本氏は高市氏にとって特別な存在となりました。
山本拓からのプロポーズ
2004年6月、高市早苗氏は「そろそろ結婚を…」と考え始めていました。しかし、この時点ではまだ山本氏と交際しておらず、特に相手が決まっていたわけではありません。そんな中、山本氏から突然の電話がかかってきました。
「真剣に結婚相手を探しているのであれば、僕もバツイチですし、立候補しますよ」と、山本氏は意外な言葉でプロポーズを持ちかけたのです。唐突な申し出に高市氏は驚き、しどろもどろになってその電話を切ってしまったといいます。しかし、プロポーズされたのは長い間なかったことだったため、嬉しい気持ちもあったようです。
その後、高市氏は1週間考え、ついに山本氏のプロポーズを受け入れることにしました。山本氏が結婚を前提にした交際を申し込んできたタイミングが、ちょうど高市氏が結婚を意識し始めた時期だったのも、彼女がこの決断をする大きな理由となったようです。政治家としての顔しか知らなかった山本氏との結婚生活に不安もあったものの、彼の熱意に心を動かされ、何かの縁と考えた高市氏は結婚に踏み切りました。
スピード婚:とんとん拍子で進んだ結婚
40歳を過ぎての結婚は、高市氏にとっても思い切った決断でした。交際を始めてから、結婚に至るまでの期間は非常に短く、新婚旅行もなく、結婚式や同居といった一般的な準備も整わないまま、とんとん拍子で話が進みました。山本氏の真剣なプロポーズに心を動かされた高市氏が、勢いに乗って結婚へと踏み出した様子がうかがえます。
2人の結婚は、恋愛感情というよりも、タイミングとお互いの信頼関係が決め手となったものでした。政治家としての仕事を最優先する2人にとって、結婚生活は華やかな新婚生活というよりも、堅実で実務的な側面が強かったと言われています。それでも、山本氏の温かいサポートと高市氏の決断力によって、このスピード婚は実現したのです。
離婚の理由と背景
離婚理由:「政治的スタンスの違い」
高市早苗氏と山本拓氏の離婚に至る最大の要因は、「政治的スタンスの違い」でした。結婚当初、2人は同じ森派に所属し、同じ方向を向いて政治活動を行っていました。しかし、結婚から数年が経ち、政治的立場の変化が2人の間で徐々に顕在化していきました。
2012年の衆議院総選挙を機に、2人はそれぞれ異なる派閥に属することになります。山本氏は石破派、高市氏は安倍派に分かれる形となり、政界で対立する立場に置かれることになりました。この派閥の違いは、政策において異なる方向性を持つため、夫婦間でも意見が対立する場面が増えたといいます。政治家として強い信念を持つ2人にとって、自分のスタンスを貫くことは非常に重要なことであり、それが徐々に家庭生活にも影響を及ぼすようになったのです。
政治活動に専念するための離婚
政界でお互いの立場が明確に分かれる中で、2人は家庭においてもその緊張感を抱えるようになりました。高市氏は、安倍派の一員として次第に頭角を現し、政界での出世を続けました。一方で、山本氏はその後も石破派に属し、政策活動に力を注いでいましたが、大臣になる機会を得られず、その立場に苦しさを感じていたようです。
2人は、「政界のおしどり夫婦」として知られていたため、私生活では夫婦円満で楽しい時間を過ごしていたとされています。しかし、政治活動に関しては、お互いの信念と派閥の違いが大きな壁となり、家庭内でのすれ違いや葛藤が増えていきました。2人にとって、政治家としての活動を優先し、信念を貫くことが何よりも大切であったため、政策活動に専念するために離婚を決意したのです。
すれ違いの背景:「出世」と「我慢の風船」
高市氏と山本氏の離婚には、出世の差も大きな影響を与えました。高市氏は政界で着実にキャリアを積み上げ、次々と要職に就任していきました。その一方で、山本氏はなかなか大臣の座を得ることができず、その状況が夫婦間のバランスに影響を及ぼしていたと言われています。
高市氏は、離婚時に「主人の我慢の風船が破裂した」と語っています。この発言からも、山本氏が自らの置かれた立場に対して、心中で大きな葛藤を抱えていたことがうかがえます。夫婦としては円満な生活を送っていたものの、政治家としてのプライドや目標が、2人の間で次第にズレを生じさせたのでしょう。
結果的に、2人は「お互いの信念を貫くため」という理由で離婚を選び、政治活動に専念する道を選んだのです。
再婚に至ったきっかけ
2021年11月、2人の再婚
高市早苗氏と山本拓氏は、2017年に離婚してから4年後の2021年11月に再び結婚しました。この再婚は、政界だけでなく、世間にとっても驚きの出来事でした。以前は政治的スタンスの違いによって離婚した2人が、どのような経緯で再び夫婦となる決断をしたのでしょうか。
再婚の理由:政治的スタンスの違いの解消
再婚に至った最も大きな理由は、山本拓氏が2021年10月の衆議院選挙で落選したことでした。これにより、2人の間にあった「政治的スタンスの違い」が解消されたのです。山本氏が現役の国会議員であったときは、派閥の違いや政治的な立場の相違が、2人の関係に大きな緊張感をもたらしていました。しかし、山本氏が政界を退くことで、2人の間に存在していた政治的な障壁が消え去りました。
このタイミングが2人にとって再び結婚する大きなきっかけとなり、「家庭」を築くことに専念できる状況が整ったのです。かつて、政治的な立場の違いが原因で離婚を選んだ2人にとって、今度はその違いを乗り越えられる環境が整ったと言えます。
再婚後の姓の変更
再婚後、興味深いことに山本拓氏が「高市姓」を名乗ることにしました。1度目の結婚では高市早苗氏が「山本姓」となっていましたが、再婚では逆に山本氏が「高市拓」と名乗るようになったのです。この変更は、2人の再婚が単に過去を繰り返すものではなく、新たな家庭としての形を象徴するものとも受け取れます。
高市早苗の家族構成と子供たち
3人の子供
高市早苗氏と山本拓氏の家族には、3人の子供がいます。ただし、これらの子供たちは高市氏の実子ではなく、山本氏と前妻との間に生まれた連れ子です。そのため、高市氏にとっては義理の子供たちですが、家族として強い絆を築いています。
- 長女・田中涼子
- 既に結婚しており、1人の子供がいます。高市氏にとっては孫にあたります。
- 長男・山本建
- 金沢大学を卒業後、民間企業に勤務。その後、国会議員の秘書を経験し、2019年に福井県議会議員に初当選。現在は政治家として活動しながら、慶應義塾大学の通信課程にも在籍しています。
- 次女・高山杏子
- 2人の子供がいます。詳細な情報はあまり公開されていませんが、家族として母親の高市氏と良好な関係を築いているとされています。
仲の良い関係
高市氏と3人の子供たちは、単なる義理の親子関係を超え、互いに深い信頼と愛情を持つ仲の良い家族です。高市氏と山本氏が離婚していた時期でさえも、彼女と子供たちの交流は続いていました。高市氏は義理の子供たちに対しても気配りを欠かさず、子供たちも高市氏を実の母親のように慕っているといわれています。
まとめ
高市早苗氏と山本拓氏の2度にわたる結婚と離婚は、政治家としての信念や立場が大きく影響したものでした。特に、政治的スタンスの違いが原因となり、2人は一度は離婚を選びました。しかし、その後、山本氏の選挙落選によって政治的な違いが解消され、再び一緒に歩むことを決意しました。
また、高市氏の政治活動において山本氏のサポートがあったからこそ、彼女が政界で復活し、キャリアを積むことができました。再婚後は、2人は家族として新たな形を築き、子供たちとも温かい関係を続けています。これからも、家族として支え合いながら共に歩んでいく姿が期待されます。
高市早苗さんはバイク乗り?子供や結婚、再婚の裏側をまとめてみた