日本の未解決事件は、時に深い謎を残し、社会に大きな衝撃を与えることがあります。これらの事件は、被害者とその家族にとっては計り知れない悲しみと苦痛をもたらし、一方で捜査機関にとっては解決への挑戦となります。多くの場合、これらの事件は長年にわたり公的な記録やメディアの報道に残り、時には社会的な問題や法制度の見直しを促すきっかけともなります。
本記事では、日本における数々の未解決事件を振り返ります。怖いホラーな有名どころの13選をまとめています。
徳島ラジオ商殺し事件
徳島ラジオ商殺し事件は、1953年11月5日に徳島県徳島市で発生した強盗殺人事件です。この事件では、50歳のラジオ商店主が自宅店内で命を落とし、彼の内縁の妻である43歳の冨士茂子も負傷しました。事件発生当初、徳島市警察は市内の暴 力団関係者2人を逮捕しましたが、証拠不足で不起訴となりました。
その後、事件から8ヶ月後に、ラジオ商の住み込み店員である17歳と16歳の少年2人が別件で逮捕され、長期間の取り調べの結果、冨士が犯人であると断定されました。1954年8月13日に冨士は逮捕され、1956年に懲役13年の有罪判決を受けました。しかし、冨士は再審を求め、模範囚として服役しながら支援を受けて闘い続けました。
1970年の再審請求では、有罪の決め手となった店員の証言が偽証であったことが明らかになりましたが、再審は認められませんでした。冨士は1979年に腎臓がんで亡くなりましたが、その遺志は家族によって引き継がれ、1980年に再審が開始されました。1985年、徳島地裁は冨士に無罪判決を下しました。この判決は、証言が誘導尋問によるものである疑いが強く、冨士に犯行動機がないこと、外部からの侵入者による犯行の可能性が高いことを理由にしていました。
この事件は、捜査機関の不適切な捜査手法が問題視され、日本初の死後再審による無罪判決として歴史に残りました。また、この事件は映画やドラマにもなり、社会的な影響を与えました。
グリコ・森永事件
グリコ・森永事件(別名:江崎グリコ社長誘拐事件)は、1984年から1985年にかけて日本で発生した一連の犯罪事件です。この事件は、大手菓子メーカーの役員が誘拐されたことから始まり、その後、複数の大手食品メーカーが脅迫されるという異常事態に発展しました。
事件の概要は以下の通りです:
1. 江崎グリコ社長誘拐: 1984年3月18日、江崎グリコの社長が自宅から誘拐されました。犯人は身代金を要求しましたが、社長は数日後に脱出に成功しました。
2. 脅迫状と毒物混入: 社長誘拐後、犯人グループは「怪人二十面相」と名乗り、江崎グリコに対して脅迫状を送りました。その後、グリコ製品のボイコットを要求し、製品への毒物混入を示唆しました。
3. 他社への脅迫拡大: 犯行はグリコにとどまらず、森永製菓をはじめとする他の食品メーカーにも脅迫が及びました。これらの企業も製品の回収や販売停止を余儀なくされました。
4. 公開捜査と終焉: 警察は犯人逮捕に向けて大規模な捜査を展開しましたが、犯人グループは巧妙に警察を翻弄し続けました。1985年に入ると、犯人からの脅迫は自然消滅する形で終息しました。
この事件は、その謎めいた犯行手口や、犯人が未だに特定されていないこと、そして大手企業がターゲットにされたことで、日本社会に大きな衝撃を与えました。また、食品安全への関心を高めるきっかけともなり、現在に至るまで日本の犯罪史上最も有名な未解決事件の一つとされています。
井の頭公園バラバラ殺人事件
井の頭公園バラバラ殺人事件は、1994年4月23日に東京都武蔵野市・三鷹市に所在する井の頭恩賜公園で発覚した日本のバラバラ殺人事件です。この事件は多くの謎を残したまま、2009年に公訴時効が成立し、ある意味ホラーな未解決事件となりました。
事件の概要は以下の通りです:
- 事件は1994年4月23日に発覚しました。
- 井の頭恩賜公園のゴミ箱にポリ袋に入った人間の足首が捨てられているのを清掃員が発見しました。
- 警察の捜索で、計27個に切断された手足・胴体の一部が袋に入って7か所のゴミ箱から発見されました。
- 被害者は公園の近くに住む一級建築士の男性(当時35歳)と判明しました。死因は不明です。
- 犯人や動機は不明のままで、事件は未解決です。
事件に関する特筆すべき点は以下の通りです:
- 遺体は関節や臓器を無視して切断され、血液が完全に抜き取られていました。
- 手足の指紋はほぼ全て削り取られていました。
- 遺体の切断方法は少なくとも3パターンあり、複数犯説の根拠の一つになっています。
- 被害者の頭部、胴体の大部分は現在も見つかっていません。
この事件は、その残虐性と謎に包まれた状況から、日本の犯罪史上特に注目される事件となっています。
貝塚ビニールハウス殺人事件
1979年1月21日、大阪府貝塚市で起きた悲惨な事件、貝塚ビニールハウス殺人事件は、一人の女性がビニールハウス内で性 的暴 行を受けた後、命を落とすという痛ましい出来事でした。
この事件の捜査中、被害者のパートナーであるY氏が、知人の少年Aからの自白を警察に提出。これを元に、警察は5人の若者を逮捕しました。しかし、証拠は彼らの関与を否定しており、被害者の体から見つかったDNAや現場の指紋などは、逮捕された5人とは一致しませんでした。
裁判所では、被告たちは警察による過酷な尋問と虚偽の自白を強いられたと訴えました。1982年には大阪地裁が一部の被告に有罪判決を下しましたが、1986年に大阪高裁は物証の矛盾を指摘し、4人の被告に無罪を言い渡しました。さらに、1989年には服役していたAも再審で無罪となりました。
この事件は、警察の偏見に基づく捜査や、拷問による自白の強要、重要な物証の見過ごしといった、捜査の不備が明らかになった冤罪事件として記憶されています。また、真犯人が特定されていない非常に怖い未解決事件です。
三億円事件
三億円事件は、1968年12月10日に東京都府中市で発生した、日本の未解決事件の一つです。この事件は、東京都警察の府中警察署から、日本国有鉄道(当時)の従業員給与として運ばれていた約3億円が強奪されたものです。
事件の当日、犯人は警察官を装い、府中市内の通りで、運搬車を停止させました。犯人は運転手に対し、車両の下に爆弾が取り付けられていると偽り、車から離れるように指示しました。運転手と同乗者が車を離れた後、犯人は運搬車に乗り込み、現金を奪って逃走しました。
この事件は、その巧妙な手口と、犯人が未だに逮捕されていないことで知られています。また、当時としては破格の大金が奪われたことから、日本中に大きな衝撃を与えました。警察は大規模な捜査を行いましたが、犯人の特定には至らず、1975年に公訴時効が成立してしまいました。三億円事件は、日本の犯罪史上最も有名な未解決事件の一つとして、今なお多くの関心を集めています。
パラコート連続毒殺事件
1985年の春から秋にかけて、日本で発生した一連の毒殺事件は「パラコート連続毒殺事件」として知られています。この事件では、犯人がパラコートという農薬を清涼飲料水に混入させ、13人が命を落としました。この事件は、1985年4月30日から11月24日までの間に起こり、最終的には解決されずに終わりました。被害者の数を考えるとホラーそのものです。
事件の要点は以下の通りです:
- 事件の期間:1985年4月30日~11月24日。
- 被害地域:日本全国。
- 犠牲者数:13人。
- 使用された毒:主にパラコート(一種の除草剤)。
- 犯行方法:自動販売機周辺に毒を混入した飲料水を置き、無関係の人々がそれを飲用。
この事件は、以前の青酸コーラ事件の影響を受けており、その後の飲料容器の安全性強化に寄与しました。しかし、事件当時はこれらの安全対策が十分に行き渡っていなかったのです。
事件の影響で、飲料メーカーは製品の安全性を高めるための措置を講じました。例えば、オロナミンCを製造する大塚製薬はボトルの蓋を改良しました。また、事件の後、パラコートの販売に際して身 分証の提示が必要となりました。
この事件は、その後も日本における農薬による中毒死の大きな割合を占め続けており、その影響は長期にわたっています。そして、2019年には秋田県で似たような事件が起こり、とても怖い事件です。
王将社長射殺事件
2013年12月19日、京都市山科区で発生した衝撃的な事件、王将フードサービスの社長、大東隆行氏が自宅から出勤中に射殺されたのが王将社長射殺事件です。この事件は、朝早くに大東氏が自宅を出発し、会社の駐車場で車を停めた際に起こりました。犯人は25口径の小型自動拳銃を使用し、4発の弾丸を大東氏の急所に命中させました。殺された社長が有名人だっただけに世間を騒がせた事件です。
事件後、京都府警は福岡県警と共同で捜査を行い、特に九州地方の暴 力団関係者を重点的に調査しましたが、犯人の特定には至らず、長期にわたって未解決のままでした。
捜査が進む中、王将フードサービスと福岡県の不動産会社との間で不適切な取引が行われていたことが判明しました。この取引により約200億円が流出し、そのうち約170億円が回収されていないことが明らかになりました。この不動産会社の経営者が工藤會に大東氏の暗殺を依頼した疑いが持たれました。
2015年、事件現場近くで見つかった遺留品から採取されたDNAが、北九州市の工藤會の組員と一致しました。この組員は逮捕されましたが、事件への関与を否定しています。
2022年、京都府警山科警察署の捜査本部は、警察庁や福岡県警、検察当局と協力し、事件に使用されたとされる車両などの捜査を進めました。その結果、福岡刑務所に服役中の工藤會の組員が殺人と銃刀法違反の疑いで逮捕されました。
この事件は引き続き捜査が行われており、犯行の動機や背後にある関係などが今後明らかにされることが期待されています。
綾瀬母子殺人事件
1988年11月16日、東京都足立区綾瀬で発生した綾瀬母子殺人事件は、36歳の母親と7歳の子どもが自宅で殺害され、金品が奪われるという悲惨な事件でした。翌1989年4月、警視庁は近隣に住む少年3人(A、B、C)を逮捕しましたが、これは誤認逮捕であることが後に明らかになりました。
事件の捜査過程で、3人の少年は好奇心から事件現場を訪れ、警察の聞き込みに対し、注目を集めたいという動機から虚偽の供述をしました。警察はこの供述を根拠に少年たちを犯人と断定し、深夜までの尋問の末に自白を強要しました。
しかし、1989年5月に検察官は3人を家庭裁判所に送致し、その後の少年審判で、物証の不一致や少年たちのアリバイが証明され、彼らの無実が確認されました。6月には3人の少年は釈放され、9月には家庭裁判所が彼らの無実を認め、不処分の決定を下しました。
この事件は、警察の先入観に基づく誤認逮捕や、少年たちの知識や経験の乏しさを利用した自白の強要、物証の無視など、捜査の不備が指摘された冤罪事件です。結局、真犯人は特定されず、2003年に公訴時効を迎えています。
未だに犯人が見つかっていない怖い事件です。
世田谷一家殺害事件
世田谷一家殺害事件は、2000年12月30日から31日にかけて、東京都世田谷区上祖師谷三丁目で発生した未解決の殺人事件です。この事件では、44歳の父親、41歳の母親、8歳の長女、6歳の長男の一家4人が自宅で何者かによって殺害されました。事件は隣に住む母親の実母によって発見されました。
事件の特徴として、犯人は家族を殺害した後に長時間現場に留まり、パソコンを使用したり、冷凍庫にあったアイスクリームを食べたりするなどの異常な行動を取りました。犯人の指紋や血痕などが現場に残されていましたが、これまでの捜査にもかかわらず犯人の特定には至っていません。犯人の行動はホラーそのものです。
犯人の特徴としては、血液型はA型で、男性であることが判明しています。喫煙者ではなく、右利きである可能性が高いとされています。また、身長は約170cm前後、やせ型であると推定されています。DNA分析からは、父系がアジア系民族、母系には欧州系(地中海)民族が含まれることが判明しています。
この事件は、その残忍さや未解決のままであること、犯人の特定に至っていない点で、日本国内外で注目されています。警察は長期にわたる捜査を続けており、情報提供に対する懸賞金も設定されています。
池袋駅構内大学生殺人事件
1996年4月11日の夜、東京都豊島区にあるJR池袋駅の山手線ホームで、立教大学の21歳の男子学生が会社員風の男に絡まれ、顎を殴られた際に転倒し、後頭部を強打しました。この衝撃が原因で、5日後に男子学生は病院で死亡しました。これが池袋駅構内大学生殺人事件です。
事件は多くの目撃者がいたにも関わらず、犯人は逃走し、その後の足取りは不明です。目撃者の証言によると、犯人は24歳から38歳くらいの年齢で、身長は170~180cm、がっしりとした体格で、右目尻には古傷があり、黒っぽいグレーのスーツを着ていたとされています。
この事件は当初、傷害致死事件として扱われていましたが、被害者の父親が公訴時効の延長を求める署名活動を行った結果、2003年に殺人罪に切り替えられました。2010年に殺人罪の公訴時効が撤廃された後も、犯人は特定されていません。
被害者の遺族は、この事件をきっかけに「犯罪被害者家族の会 Poena(ポエナ)」を設立し、犯罪防止や被害者支援の活動を行っています。また、遺族は法の不遡及の原則を重視し、既に時効が進行中の事件に対する時効の延長・廃止の適用に反対しています。
2020年12月、警視庁は犯人不詳のまま書類送検し、事実上の捜査終結を遺族の意向により決定しましたが、警視庁は引き続き情報提供を呼び掛けています。誰にでも起こりうる事件として怖い印象があります。
柴又女子大生放火殺人事件
1996年9月9日、東京都葛飾区の柴又地区で起きた悲劇的な事件は、柴又女子大生放火殺人事件として知られています。この事件では、上智大学に通う21歳の女性大学生が自宅で命を落としました。犯人は今も捕まっておらず、事件は未解決のままです。その後もテレビで良く取り上げられる有名な事件です。
事件の主なポイントは以下のとおりです:
- 事件発生時期:1996年9月9日の午後。
- 発生場所:東京都葛飾区柴又の一軒家。
- 被害者:21歳の女子大学生。
- 事件の詳細:被害者宅に侵入した何者かによって殺害された後、家に火が放たれた。
- 被害者の状況:被害者は口と手をテープで封じられ、足はストッキングで縛られていた。首には刃物による傷がありました。
- 捜査の進行:2006年に、被害者の足の縛り方が特殊な方法であること、現場のマッチ箱から他人のDNAが検出されたことが明らかになりました。2014年には、遺体に掛けられていた布団から犯人と思われるDNAが検出されました。
この事件は、被害者の自宅がもはや存在しないものの、その場所には被害者を記念する地蔵が設置されています。警視庁は公的な懸賞金制度を通じて、犯人の情報を求めています。女性の一人暮らしの怖さを痛感した人が多い事件です。
東電OL殺人事件
東電OL殺人事件は、1997年3月9日未明に東京都渋谷区円山町のアパートで発生した未解決の殺人事件です。被害者は東京電力の管理職である39歳の女性で、彼女はアパートで殺害されました。
事件の経緯は以下の通りです。1997年3月19日午後5時頃、被害者の他殺遺体がアパートの1階空室で発見されました。通報者は隣のネパール料理店の店長でした。被害者は生前、売春を行っており、死因は絞殺でした。死亡推定日時は遺体発見から約10日前とされています。
この事件で、ネパール人の男性、ゴビンダ・プラサド・マイナリが犯人として逮捕され、有罪判決を受けましたが、後に冤罪と認定され無罪判決を得ました。この事件は、2010年の刑事訴訟法改正による時効撤廃後に再捜査が行われた最初のケースとなりました。
被害女性は、慶應義塾大学経済学部卒業後、東京電力に入社した社員でした。彼女は昼間は大企業の社員として、夜は売春を行っていたと報じられました。彼女の生活には職場でのストレスや依存症、拒食症の問題があったとされています。
裁判では、ゴビンダが犯人であるとする状況証拠が提出されましたが、最終的には無罪が確定しました。この過程で、DNA鑑定の結果が重要な役割を果たしました。ゴビンダは再審開始決定後に釈放され、その後ネパールに帰国しました。
この事件は、日本の司法制度やメディアの報道態度に関する議論を呼び起こしました。世界でも有名な冤罪事件の一つです。犯人がまだ普通に生活していることを考えると怖すぎます。
豊明母子4人殺害事件
2004年9月9日、愛知県豊明市の沓掛町で起きた悲惨な事件、「豊明母子4人殺害事件」では、一家の母親と3人の子どもが命を落としました。この事件は、家族が他殺された後、家が放火されたという未解決の痛ましい事件です。家の主人は、事件発生時に仕事で不在だったため無事でした。帰ってきて全員亡くなっているというのは怖すぎです。
事件の詳細は以下のとおりです:
- この事件は2004年の9月9日の早朝に発生しました。焼け落ちた家の中から、家の主人の妻(38歳)と3人の子ども(15歳の男の子、13歳の女の子、9歳の男の子)の遺体が見つかりました。
- 遺体の状態から判断すると、火事の影響で大きく損傷を受けた次男を除き、他の家族は鈍器による打撲や刃物による傷が見られました。
- 家の中からは灯油のような液体が見つかり、愛知県警はこの事件を殺人と放火の事件として扱っています。
- 犯人が家にどのように侵入したのか、また犯行の動機は今も明らかになっていません。家からは貴金属や通帳などが盗まれた形跡はありませんでした。
2023年現在、この事件は依然として解決に至っておらず、犯人の特定や動機の解明は行われていません。この事件は日本の未解決事件として記録されています。
日本の未解決事件に関するまとめ
今回は怖いホラーな有名どころの未解決事件を13選、集めてみました。
中には真犯人とおぼしき人物を特定するジャーナリストなどがいたりしますが、警察が実際に証拠を集めて立証するとなるとなかなか難しい問題もあるのだと思います。
監視カメラやDNA鑑定の精度があがったことなどで、昔ほど未解決事件は減っているような印象ですが、警察の人的限界というものは存在すると思います。
凶悪なものは表に出てきやすいですが、事件として認識されていない行方不明が絡む事件などはいまだにどこかで何かしら発生しているのではないでしょうか。
未解決事件と聞くだけで人をひきつけるのは、ホラーというよりは人の怖さ、いわゆるヒトコワが一番怖いということなのかもしれません。