2022年7月8に奈良県での応援演説中に銃弾で倒れた安倍晋三元首相、7月12日に増上寺で告別式を行い多くの人が献花や安倍晋三氏を見送るために集まりました。
平日の昼間、増上寺前の道の両サイドを埋め尽くす人の数にどれだけ大きな出来事、日本人にとっての悲しみだったかがわかる一日でした。
戦後これだけ世界中の首脳から頼りにされた日本人の総理大臣はいないと評される安倍晋三氏ですが、亡くなり方が予期せぬ銃撃によるものということも重なって、国葬はしないのか?という声が高まっていると思います。
この記事ではそんな安倍晋三氏の国葬はあるのか?そもそも国葬とは何か?過去の国葬された日本人などの情報をまとめてみたいと思います。
安倍晋三元首相の国葬はある?
そもそも国葬とは何かということですが、安倍晋三氏の場合上記のように家族葬という形ですでに葬儀自体は終わって火葬もされているわけです。
そういった事実上の葬儀とは別に、国家に功労のあった人に対して国がお金を出して別途お別れの場を設けるというのが国葬で閣議などによって国葬をするかどうかが決められるようです。
安倍晋三氏の地元山口県と東京ではすでにお別れ会が開かれることが決定しているようですが、これは支援者などの有志によるもので国がどうこうするものではありません。
なのでこれだけ日本のために貢献してきた戦後稀にみる首相なわけですから、きちんと国葬という形でお見送りすることが筋なのではという声が今ネットを中心に沸き上がっているというわけです。
一部のニュースで安倍氏の国葬を政府が検討しているというものが出たようですが、岸田現内閣総理大臣は名言せず、まだ亡くなったばかりなのでそこまで頭が回っていない、大きな功績を残した人なのでそれ相当の敬意をもって対象すべきという発言に留まっているようです。
持病を抱えながらの政治活動の最中に不慮の死を遂げた安倍元首相。
政治信条はどうあれ日本国民として国葬にした方がいいと思うおいらです。
岸田首相には「前例が無い」とかを理由にして欲しく無いです。 https://t.co/EGTy9XVmKx
— ひろゆき (@hirox246) July 11, 2022
ひろゆき氏がツイッターで国葬を推したことで、「#安倍晋三の国葬に賛成します」 といったハッシュタグでツイートをする人が後を絶ちません。
ただ一部「「#安倍晋三の国葬に反対します」という逆の文言でツイートしている人もいくらか見受けられるのが気になります。
犯人の山上は統 一 教会を日本に引き入れた岸信介に関しても供述している。 蛮 行は許されることではないが、安倍晋三や自民党の議員が、この反 社会的宗 教団体と結び、沢山の被害者を生んできたことを断罪しなければならない! ましてや、国葬など決してしてはならない
引用:ツイッターより
宗教団体との関わりについてすっきりしない人がいるの事実かと思います。
安倍さんほど各国首脳と親しかった総理大臣はいないのでは? だからこそ、諸外国から哀悼の言葉を贈られているのです。 今までの献身的な国家への貢献に感謝するためにも、ぜひとも国葬を。
引用:ツイッターより
今回の事件で世界各国は異例の速さで哀悼の意や半旗を掲げて安倍氏の死を悼みました。
ローマ教皇までが哀悼の意を表するのはなかなかないことです。
日本国内では報道されない安倍晋三氏がどれだけ世界各国のリーダーから頼りにされていたか、G20や国連の場に安倍さんが現れると各国の要人が列をなして安倍さんの出待ちをしていたという話はもっと語られてもいいものかと思います。
各国が抱える外交問題もとりあえず安倍さんに相談すれば何か糸口が見つかるかもしれないという思いで慕われていたようです。
過去の国葬された日本人は?
常に検討しかしない岸田総理大臣ですが、ほとんど前例がないということで安倍晋三氏の国葬も見送ることになるのでしょうか。
過去に国葬された日本人は?ということで最後にまとめていきたいと思います。
戦前は国葬令というものが定められていて、特旨はあったものの国家に功労のあった人はそれなりの数が国葬で見送られています。
1883年(明治16年)7月25日 | 岩倉具視 |
1887年(明治20年)12月18日 | 島津久光 |
1891年(明治24年)2月25日 | 三条実美 |
1895年(明治28年)1月29日 | 有栖川宮熾仁親王 |
1895年(明治28年)12月18日 | 北白川宮能久親王 |
1896年(明治29年)12月30日 | 毛利元徳 |
1898年(明治31年)1月9日 | 島津忠義 |
1903年(明治36年)2月26日 | 小松宮彰仁親王 |
1909年(明治42年)11月4日 | 伊藤博文 |
1912年(大正元年)9月13日 | 明治天皇 |
1913年(大正2年)7月17日 | 有栖川宮威仁親王 |
1914年(大正3年)5月24日 | 昭憲皇太后 |
1916年(大正5年)12月17日 | 大山巌 |
1919年(大正8年)3月3日 | 李熈 |
1922年(大正11年)2月9日 | 山縣有朋 |
1923年(大正12年)2月14日 | 伏見宮貞愛親王 |
1924年(大正13年)7月12日 | 松方正義 |
1926年(大正15年)6月10日 | 李坧 |
1927年(昭和2年)2月7日 | 大正天皇 |
1934年(昭和9年)6月5日 | 東郷平八郎 |
1940年(昭和15年)12月5日 | 西園寺公望 |
1943年(昭和18年)6月5日 | 山本五十六 |
1945年(昭和20年)6月18日 | 閑院宮載仁親王 |
これだけ見ても錚々たる顔触れです。
戦前には23人の人が国葬を行われています。
ただ戦後は国葬令自体が失効して、はっきりとした規定があるわけではないようです。
天皇に関しては有無を言わず国葬ですが、戦後昭和天皇以外で国葬をされたのは吉田茂氏のみで1967年のことです。
他に準国葬というと変ですが、「自民党、国民有志による国民葬」もしくは「内閣・自由民主党合同葬」という形で一部国庫からお金を出す形で合同葬というものが執り行われています。
一番最近だと中曾根康弘誌の合同葬で税金が9600万円使われたとニュースになったので覚えている人も多いかと思います。
戦後は幣原喜重郎、貞明皇后、尾崎行雄、松平恒雄、佐藤栄作、大平正芳、岸信介、三木武夫、小野明、福田赳夫、小渕恵三、鈴木善幸、橋本龍太郎、宮澤喜一、西岡武夫の計15人が国が関与して葬儀を行っている人物となります。
こうして見るだけでもいかに人数が少なく、より有力だった人物(線引きが難しですが)のみが国庫を削って見送られているということがわかります。
今朝の産経の提案が正論。自民党葬とか矮小化してはいけない。国葬は、安倍晋三さんのご遺志を受け継いでいく意思表示でもあるからだ。 pic.twitter.com/GuGOxIWxdN
— 楊海英(Oghonos Chogtu) (@Hongnumongol99) July 11, 2022
安倍晋三氏が暗殺という亡くなり方、政治家としての功績ということを考えると国葬に値すると考えるのはごく自然だとは思いますが、合同葬になるのか国葬になるのかでマスコミを含め議論になっていくのではないでしょうか。
なんで国葬にしないんだという逆に外国からの圧力、声によってもしかすると岸田内閣も動かざるを得なくなるかもしれません。
合同葬であれ国葬であれ、トランプ元大統領など各国要人が集まることになるでしょうから、国際世論をもってしても国葬が相当な気はしますが今後の展開に注目です。