Awichの旦那(夫)の死因が銃殺なのか、娘トヨミ・ジャミラのことなどまとめてみた
女性ラッパーの中ではダントツの存在感で他を圧倒しているのがAwich(エーウイッチ)です。
和声リアーナと言われたりもするようですが、唯一無二の歌声、グルーブで彼女をけなす業界関係者は皆無と言ってもいいのではないでしょうか。
マーケット的には本格的なヒップホップやラップというジャンルは日本ではメジャーにはなりにくいわけですが、世界を視野に入れてもまだまだ伸びしろを感じさせてくれるのがAwichという存在です。(Asia Wish Childの略がAwich)
この記事ではAwichの旦那(夫)の死因が銃殺なのか、娘トヨミ・ジャミラのことなどをまとめています。
Awichの出身は沖縄、旦那(夫)はアメリカ人
本名は浦崎亜希子(うらさきあきこ)、Awichは1986年12月16日沖縄県那覇市出身です。
発音としては「エイウィチ」となり、この名前の由来はAsia Wish Childという彼女が作った言葉からきています。
小さいころから米軍基地の向こうの世界に憧れて、小4から英語を学び中学時代に2pacの音楽に出会い自らも歌詞を書くようになっていったようです。
14歳で早くも沖縄ヒップホップのコンピレーションアルバム『Orion Beat』に参加するという当時から才能は溢れていたのでしょう。
2006年にはEP『Inner Research』でデビューしますが同時に高校卒業後アメリカに留学もしていました。
ちなみに高校は浦添市にある昭和薬科大学付属高校、大学はインディアナポリス大学で起業学とマーケティング学の学士号という才女です。
大学在学中に14歳上のアメリカ人男性と結婚し長女のToyomi Jah'miraさんを出産しています。娘のトヨミさんは「Jar Love」という曲でラップを披露しています。
名前の由来としては、本名の「亜希子」の亜が亜細亜ということでAisia、希が希望のWish、子が子供のChildというこの三つを組み合わせてAwichとなっています。
ユーチューブでも彼女の生い立ちに迫る動画は増えてきています。
Awichの旦那(夫)と沖縄への想い
Awichさんは、音楽的なルーツを沖縄に持っています。
彼女は小学生のころ、沖縄アクターズスクールに入学することを夢見ていましたが、親の反対によりその夢は叶いませんでした。
しかし、その代わりに米軍基地内の英語教室で英語を学ぶ機会を得ました。
中学生に進学すると、沖縄出身のアーティスト、Coccoさんの音楽に魅了され、彼女を尊敬するようになりました。
14歳の時、Awichさんはヒップホップアーティスト・2PACの楽曲に出会い、その魅力に取り憑かれました。
この出会いがきっかけで、彼女は自分でもラップを始めることができるのではないかと感じるようになりました。
実は、9歳から詞を書き始めており、14歳の頃には、その詞をラップとして表現することができるのではないかと考えるようになりました。
彼女が書いていた詞の中には、大人への不満や、社会のルールに対する疑問などが綴られていました。
沖縄の歴史や風土は、Awichさんの音楽制作に大きな影響を与えています。
彼女は、沖縄の戦争の歴史や平和に対する思いを持ち続けており、それが彼女の音楽に反映されています。
また、彼女は現在の状況を利用して、新しい可能性を追求することを考えていました。
高校を卒業した後、Awichさんはアメリカに留学し、ヒップホップと起業学を学びました。
留学中には、アメリカ人の男性と結婚し、娘のトヨミさんを出産しました。しかし、結婚から3年後のある日、夫が事件に巻き込まれ、命を落とすという悲劇に見舞われました。
この出来事はAwichさんにとって大きなショックであり、精神的にも大きなダメージを受けました。
しかし、彼女は娘に対して真実を隠すことなく、夫の死を伝えました。その際、娘からの質問に対して、正直に答えることを心掛けました。
そして、夫への愛情は今も変わらず、その思いを娘に伝え続けています。
さらに、お父さんからの言葉が彼女の心に響きました。彼は沖縄の人々は多くの困難を乗り越えてきて、前を向いて生きてきたと励ましてくれました。
この言葉によって、Awichさんは新たな気持ちで前を向くことができるようになったと言います。
Awichの旦那(夫)は銃殺
Awichの旦那(夫)はプ ッシャー、つまり麻薬の密売人だったそうで彼女が妊娠中も刑務所に入っていたそうです。
ファイブパーセンターズにも入っていたようでかなりディープです。
ファイブパーセンターズはそれだけで何十記事も書けてしまうぐらい複雑でセンシティブな内容なのでここでは割愛しますが、黒人系のイ スラム団体の一つでラッパーのJay-Zがユニヴァーサル・フラッグ(Universal Flag)、通称「ファイヴ・パーセント・フラッグ」と呼ばれるどでかいアクセサリーを首からぶら下げてメディアから叩かれたこともあります。
Awichさん自身もファイブパーセンターズの教えからインスピレーションを受けていると公言しています。
Awichさんはそんな悪そうな人たち、日本の悪そうそうな人たちとはちょっと比較できない本物の世界のど真ん中にいたようです。
銃殺されたAwichの旦那(夫)
そして出所してからもトラブルが絶えなかった旦那(夫)は2011年、ちょうど沖縄に里帰りしていたAwichさんをよそに銃殺されてしまったそうです。
もともとはアトランタにいたわけですが、お子さんも生まれてちゃんと生活しなくてはということで、旦那さんのお母さんが当時住んでいたインディアナポリスに引っ越して清掃員などをやっていたそうですが、非常に残念な最期です。
アトランタの前も8年間、ニューヨークの刑務所にいたといいます。
何かトラブルに巻き込まれてしまったようですね。
Awichさんと旦那(夫)は2005年ころ、彼女がまだ19歳で渡米したてのころに知り合ったようです。
刺青の話題などで話が盛り上がり、付き合うことに。
結婚は2008年ということですが、同じ年に娘のトヨミ・ジャミラ(鳴響美)さんを出産しています。
旦那さんはクスリの売人ということで刑務所を行ったり来たりしていたようですが、Awichさんが妊娠中も塀の中に入っていたのだとか。
2011年に亡くなった旦那(夫)の遺言として、亡くなったら遺骨を海に流して欲しいという旨があったようで、彼女を娘さんで沖縄の海でお父さんの遺言通りに骨は海に流したそうです。
娘さんの トヨミ・ジャミラ(鳴響美)さんもインスタをやっていてすでにフォロワー数が6万人に迫ろうかという勢いで、お母さん同様影響力を持ち始めています。
娘さんはYomi Jah(ヨンジャ)として音楽活動もしていて、お母さんの遺伝子を確実に引き継いでいます。
Awichが旦那に捧げた歌
「Ashes」のミュージックビデオは、Awichの深い個人的な体験を映像化した作品です。
この楽曲は、彼女のアルバム『8』からの一曲で、約10年ぶりの作品となるこのアルバムは、Chaki Zuluによる全面的なプロデュースで注目を集めました。
Awichのこの曲は、彼女自身の人生における悲劇的な出来事、具体的には旦那(夫)の突然の銃撃死という痛ましい経験にインスパイアされています。
彼女は2008年にアメリカ人男性と結婚し、同年に娘を出産。その後、家族と共に日本に戻る計画を立てていましたが、夫の死によりその計画は突如として狂わされました。
「Ashes」のMVは、Awichと娘が海に夫の遺灰を散骨する様子を描いています。
この映像には、過去の映像素材も含まれており、母娘が経験した悲劇を乗り越え、絆を深める様子が表現されています。
また、Awich本人の「悲しみや痛みにも全てに意味がある」というメッセージが伝わる、感動的な作品となっています。
更に、Awichの娘がYomi Jah名義で参加した楽曲「Jah Love」の特別バージョンも父の日に合わせて公開されました。
この曲では、娘が亡き父に向けて歌う姿が捉えられています。
「Ashes」のMVはKEITA SUZUKIによるアルバムデザインとカメラマンの手腕が、また「Jah Love」はAwichの作品を手掛け続けるSpikey Johnがディレクションを務めています。
これらの作品を通じて、Awichとその家族が経験した苦難と、それを乗り越えてきた強さと愛が伝わってくるものとなっています。
「Ashes」はAwichが旦那(夫)に向けた歌ということになります。
Awichの旦那(夫)の死後、沖縄に帰って活動を再開
沖縄に帰ってからAwichは「CIPHER CITY」という映像制作や舞台演出、ファッションイベントの企画などをする会社を設立しています。
2017年には自ら脚本・監督を務めた短編映画「aimer」がアムステルダム「ニュールネッサンス映画祭」でベスト・ファンタジー賞を受賞するなど音楽以外でも活躍されています。
音楽に関してはYENTOWN率いるChaki Zuluの全面プロデュースで10年ぶりのフルアルバム『8』をリリースしています。
Awichの洗脳入ってるのは良いと思う https://t.co/vVZPKI2FWa
— 💭ほわいとうぃどう😤 (@UG_mogura) March 24, 2020
ツイッターは本人のツイートよりもリツイート多めな感じがします。今流行りのワニのプレイリストのパロディにAwichさんの洗脳が入っているようです。
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Awichの旦那に対する思い
Awichこと上原亜衣さんは、若くしてアメリカへ渡り、音楽の道を追求する中で、人生の大きな転機を迎えます。
21歳で結婚し、娘鳴響美を出産しますが、その幸せは突如として暗転。
夫はある日銃弾によって命を奪われ、Awichはシングルマザーとして残されます。
夫の死の報せは、彼の母親からの突然の電話で伝えられたそうです。
彼女は東京で就職活動中だったそうで、その電話は、Awichにとって信じがたい現実を突きつけるものでした。
遠く離れたアメリカの地で、夫が亡くなり、その葬儀にも間に合わなかった彼女は、深い悲しみと孤独を抱えながら、娘に父親の死をどのように伝えるべきか苦悩します。
この試練を乗り越え、音楽活動を再開したAwichは、娘と共にステージに立ち、「(夫には)『やってるよ』と言いたい」と語ります。
夫へのメッセージは、彼女が音楽、子育て、そして生きること全てにおいて、彼の存在を忘れずにいることを示しています。
夫の死後、Awichは娘に対し正直に全てを話す決断をしました。
彼女は、うそや隠しごとなく娘を育てたいと考え、夫が生前望んでいた通り、骨を海に散骨しました。
この選択は、娘にとってもAwichにとっても、夫との最後の別れとなりました。
彼女たちは沖縄の無人島で、美しい自然の中で夫の骨を海に帰しました。
「これがダディの体だって理解してる? 太陽、風、雲、木……今からあなたを取り巻く全てのものに、彼のエネルギーが戻っていく」とAwichは娘に語りかけます。
彼女の経験は、挫折を乗り越えて立ち上がる強さを示しており、その音楽は多くの人々に勇気と共感を与えています。