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黒柳徹子の結婚や歴代彼氏、アレクシス・ワイセンベルクとの関係についてまとめてみた

黒柳徹子

黒柳徹子(くろやなぎてつこ)さんは1933年8月9日生まれの90歳、女優、タレントとして活躍されています。

言わずと知れた「徹子の部屋」の司会者として48年目に突入していて、これは同一司会者によるトーク番組の最多放送世界記録保持者として、記録を更新中という偉大な方です。

 

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とにかく感覚が若い黒柳さん、インスタもやっていてフォロワー数は114万人という驚異の数です。

この記事では黒柳徹子さんのプロフィールに加え、結婚や歴代彼氏、プロポーズされた恋人、アレクシス・ワイセンベルクについてまとめています。

黒柳徹子さんの経歴

黒柳徹子さんは、1933年8月9日に東京で生まれた女優、タレント、テレビ司会者、エッセイストです。

彼女は日本のテレビ放送の草創期から活躍しており、特にトーク番組「徹子の部屋」の司会者として広く知られています。

この番組は、同一司会者によるトーク番組としては世界最多放送回数を記録しています。

黒柳さんは幼少期から「問題児」とされ、尋常小学校を1年生の時に退学させられ、その後、トモエ学園に転校し、香蘭女学校、東洋音楽専門学校声楽科を卒業しました。

音楽学校卒業後、オペラ歌手になる夢を諦め、NHK放送劇団に入団、彼女は約6,000人の応募者の中から選ばれ、放送劇団の五期生として活動を開始しました。

テレビ女優としてのキャリアをスタートさせた黒柳さんは、1953年にテレビ放送が開始された初日から出演を続け、日本史上最初のテレビ女優の一人となります。

彼女はラジオドラマや人形劇、テレビドラマなどに出演し、特に子供番組での活躍が目立ち、テレビとラジオのレギュラー番組を多数抱え、非常に忙しい日々を送っていました。

1971年にはニューヨークへ留学し、演技やダンスを学びました。

帰国後、1976年に始まった「徹子の部屋」の司会を務め、これが彼女のキャリアの大きな転機となりました。

この番組は長年にわたり高い人気を誇り、彼女の代名詞ともなっています。

舞台女優としても活躍し、1997年には毎日芸術賞と読売演劇大賞の最優秀女優賞を受賞。

また、黒柳さんはユニセフ親善大使としても活動し、社会貢献にも力を入れています。

SNSを活用し、特にInstagramでは若い世代にも人気があります。彼女は自身の経験や感性を生かし、多方面で活躍を続けています。

黒柳徹子さんは、日本のテレビ放送史における重要な人物であり、その多才な才能と長年にわたる活躍は、多くの人々に影響を与え続けています。

基本情報

本名: 黒柳 徹子(くろやなぎ とおこ)
生年月日: 1933年11月9日
出身地: 東京府東京市(現・東京都)

学歴

学校: 聖心女子学院初等科・中等科・高等科を卒業
留学: アメリカ合衆国ニューヨーク州のサラ・ローレンス大学で学ぶ

キャリア

デビュー: 1953年、NHKのラジオ番組「おはよう娘さん」でデビュー
テレビ: 1958年、NHKのテレビドラマ「おかあさん」で女優デビュー
司会者: 1962年から「国際スター紀行」の司会を務め、1964年からは「おしゃべりクイズ 真実か虚構か」の司会も担当
「徹子の部屋」: 1976年から開始した長寿トーク番組。日本のテレビ史上最長のトーク番組としてギネス世界記録に認定

YouTubeも好調な黒柳さん、定期的にH&Mで爆買いする動画は大人気です。

若い感性が彼女の長生きの秘訣なのかもしれません。

家族構成

黒柳徹子さんは、音楽家の家庭に生まれ、その家族構成は多才で文化的な背景を持つ人々で構成されています。

徹子さんの父、黒柳守綱さんは著名なヴァイオリニストで、1937年に新交響楽団(現NHK交響楽団)のコンサートマスターとして活躍し、東京弦楽四重奏団のメンバーとしても名を馳せました。

彼の音楽への情熱は、戦後も変わらず、東京交響楽団のコンサートマスターとしても活躍しましたが、1983年にこの世を去りました。

一方、徹子さんの母、黒柳朝さんはエッセイストとして知られ、特に徹子さんの著書『窓ぎわのトットちゃん』の成功を受けて、自身のエッセイ『チョッちゃんが行くわよ』が人気を博しました。

彼女の作品は、書籍化されるだけでなく、テレビドラマやアニメ映画にもなり、多くの人々に愛されました。

朝さんは2006年に亡くなりましたが、その生涯は多くの人々に影響を与え続けています。

徹子さんには兄弟がおり、長男の黒柳明兒さんは残念ながら若くして亡くなりました。

次男の黒柳紀明さんはヴァイオリニストとして活躍し、読売日本交響楽団やNHK交響楽団に所属し、音楽の道を歩みました。

また、次女の黒柳眞理さんは元バレリーナで、美容師やエッセイストとしても活動しています。

徹子さんの家族は、音楽や文化の世界でそれぞれに輝かしい足跡を残しており、彼女自身のキャリアにも大きな影響を与えていることが伺えます。

父方の祖父は医者であり、母方の家系も松山藩の家臣としての歴史を持つなど、彼女の家族背景は多岐にわたる文化的・歴史的背景を持っています。

黒柳徹子さんの歴代彼氏の噂

長い芸能生活の中で、才能ある人たちと出会う機会のあった黒柳徹子さん。

過去に噂になっている大物が名を連ねていますが、そのほとんどは仕事上のパートナーであったり、恋愛関係というものではありません。

その中で半分冗談のように使われてきた黒柳徹子さんの歴代の彼氏たちをみていきたいと思います。

ジャニー喜多川

プロフィール

生年月日: 1931年10月23日
死没: 2019年7月9日 (87歳没)
職業: 実業家、芸能プロモーター、音楽プロデューサー

関係性の詳細

ジャニー喜多川さんと黒柳徹子さんは、長年にわたり親しい友人関係を築いていました。

結婚に関する噂もありましたが、これは主にジョークとして扱われ、二人の間の深い友情と尊敬を示すものでした。

黒柳さんはジャニーさんの舞台を頻繁に訪れ、彼の才能を高く評価していました。

永六輔

プロフィール

生年月日: 1933年4月10日
死没: 2016年7月7日 (83歳没)
出身地: 東京府東京市浅草区
職業: 放送作家、作詞家、タレント

関係性の詳細

永六輔さんと黒柳徹子さんは、60年以上にわたる長い友情を共有していました。

永さんの妻が亡くなった後、二人の間に再婚の噂が流れましたが、これは実現しませんでした。

二人は仕事上でのパートナーとしても協力し合い、永さんの死後、黒柳さんは彼のお別れ会の発起人を務めるなど、二人の間の深い絆を示しています。

森繁久彌

プロフィール

生年月日: 1913年5月4日
死没: 2009年11月10日 (96歳没)
出身地: 大阪府枚方市
職業: 俳優、声優、作曲家、作詞家、歌手、アナウンサー

関係性の詳細

森繁久彌さんは、「徹子の部屋」の初回ゲストであり、黒柳徹子さんとの間には特別な絆がありました。

番組内での森繁さんの大胆な発言「1回どうかな?」に対し、黒柳さんは戸惑いながらも「何が?」と返答しました。

このエピソードは二人の親密さを示していますが、恋愛関係には発展していないとされています。

飯沢匡

プロフィール

生年月日: 1909年7月23日
死没: 1994年10月9日 (85歳没)
出身地: 和歌山県和歌山市
職業: 劇作家、演出家、小説家

関係性の詳細

飯沢匡さんと黒柳徹子さんの出会いは1954年に遡ります。

飯沢さんが脚本を担当したNHKラジオドラマ「ヤン坊ニン坊トン坊」のオーディションで黒柳さんがトン坊役に選ばれたことがきっかけでした。

飯沢さんは黒柳さんの個性を高く評価し、彼女のキャリアに大きな影響を与えました。

二人は約40年間にわたる深い関係を持ち、飯沢さんの死まで続きました。

アラン・ドロン

プロフィール

生年月日: 1935年11月8日
年齢: 88歳 (2023年時点)
出生地: フランス共和国オー=ド=セーヌ県ソー
職業: 俳優

関係性の詳細

アラン・ドロンさんから黒柳徹子さんへの手紙は、彼女が開封するまでに20年を要しました。

このエピソードは、黒柳さんがドロンさんに特別な感情を抱いていなかったことを示唆しています。

NHKの「夢であいましょう」ではドロンさんが黒柳さんを口説くシーンもあったとか。

しかし黒柳さんはドロンさんを「私の好みではなかった」と述べており、交際までは発展しなかったものと思われます。

田川啓二

プロフィール

生年月日: 1959年
年齢: 64歳 (2023年時点)
出身地: 東京都港区
職業: 実業家、服飾デザイナー、ビーズ刺繍デザイナー

関係性の詳細

田川啓二さんは、黒柳徹子さんのマネジメントを担当し、彼女のファッションやスタイルに大きな影響を与えています。

彼のビーズ刺繍の技術は、黒柳さんの公のイメージを形作る上で重要な役割を果たしており、二人は「二人三脚」と称されるほどの密接な関係を築いています。

ですがあくまで仕事上のパートナーということではないでしょうか。

渥美清

プロフィール

生年月日: 1928年3月10日
死没: 1996年8月4日 (68歳没)
出身地: 東京府東京市下谷区
職業: 俳優、コメディアン、演歌歌手

関係性の詳細

渥美清さんと黒柳徹子さんは、NHKのバラエティ番組「夢であいましょう」での共演を通じて親しくなりました。

番組内での息の合ったコントから恋愛関係の噂が立ちましたが、実際には兄妹のような親しい関係でした。

黒柳さんは渥美さんを「兄ちゃん」と呼び、渥美さんは彼女を「お嬢さん」と呼んでいました。

山田洋二監督によれば、渥美さんは黒柳さんに好意を持っていた可能性があるとのことです。

 赤塚不二夫

プロフィール

生年月日: 1935年9月14日
死没: 2008年8月2日 (72歳没)
出身地: 満洲国・熱河省
職業: 漫画家

関係性の詳細

赤塚不二夫さんと黒柳徹子さんはテレビ番組での共演をきっかけに親しくなりました。

黒柳さんは赤塚さんとの関係を「うんと仲がよかった」と述べており、二人の間には深い友情があったことが伺えます。

赤塚さんが黒柳さんに特別な感情を抱いていたという噂もありますが、黒柳さん自身は恋愛感情はなかったようです。

黒柳徹子とアレクシス・ワイセンベルクは結婚寸前だった

黒柳徹子さんとアレクシス・ワイセンベルクさんの恋は、一般的な恋愛の枠を超えた、深い理解と尊敬に基づく関係でした。

二人の出会いは、1971年のニューヨークでの留学中に起こりました。

当時、黒柳さんは38歳、ワイセンベルクさんは42歳でした。ワイセンベルクさんはすでにパリに住んでいましたが、彼のアメリカ訪問が二人の出会いを可能にしました。

この出会いは、黒柳さんにとって人生の転機となりました。

彼女は、ワイセンベルクさんからのプロポーズを受けるほどの深い関係に発展しましたが、最終的には日本への帰国を選び、遠距離恋愛の道を歩むことになります。

この決断は、黒柳さんのキャリアに対する献身と、ワイセンベルクさんへの深い愛情のバランスを示しています。

40年にわたる遠距離恋愛は、両者にとって容易なものではありませんでした。

黒柳さんは日本でのテレビ番組や女優業に忙しく、ワイセンベルクさんも国際的なピアニストとしての活動で多忙を極めていました。

しかし、彼らは互いに会う時間を見つけ、お互いの存在を大切にし続けました。ワイセンベルクさんが『徹子の部屋』に出演した際のエピソードは、二人の関係の特別さを物語っています。

残念ながら、ワイセンベルクさんがパーキンソン病を患い、晩年は移動が困難になったことで、二人の物理的な距離はさらに大きくなりました。

しかし、黒柳さんは彼の病状にもかかわらず、彼に会いに行く努力を惜しまなかったとされています。

これは、彼女のワイセンベルクさんへの深い愛情と、彼の存在が彼女の人生に与えた影響の大きさを示しています。

ワイセンベルクさんには3人の子供がいましたが、彼の私生活については多くが明らかになっていません。

黒柳さんとの関係が不倫であったという噂もありますが、これについては確固たる証拠はありません。

黒柳徹子さん自身が結婚をしていないこと、そして彼女の人格や価値観を考慮すると、不倫関係にあったとは考えにくいのではないでしょうか。

ワイセンベルクさんの死後も、黒柳さんは彼を深く慕い続けています。

彼女の人生における彼の役割は、単なる恋人以上のものであり、彼女の人生観や価値観に大きな影響を与えたことは間違いありません。

この恋愛は、時間や距離を超えた真の愛の例として、多くの人々に感動を与え続けています。

ワイセンベルクさんはピアニストという繊細な職業ですが、少しワイルドな男くさい感じもする方のようです。

色気のある人とも表現できると思います。

アレクシス・ワイセンベルクの経歴

アレクシス・ワイセンベルクは、1929年にブルガリアのソフィアで生まれた著名なピアニストです。

彼は幼少期から音楽の才能を示し、14歳でピアニストとしてデビューしました。

第二次世界大戦中の苦難を経て、アメリカに逃れ、ジュリアード音楽院で学びました。

1947年にはレーヴェントリット国際コンクールで優勝し、ニューヨーク・フィルハーモニックと共演しました。

1966年に演奏活動に復帰し、ヘルベルト・フォン・カラヤンとの共演で名声を高めました。彼はジャズにも関心を持ち、編曲や自作曲を残しました。

2012年にスイスで亡くなりました。

ワイセンベルクはその卓越した技巧と音楽性で国際的に認められたピアニストでした。

彼が世界的に認められた本物のピアニストであったことは、YouTubeの動画などで確認することができます。

黒柳徹子さんの結婚について

黒柳徹子さんは、2023年時点で90歳になられますが、これまでに一度も結婚歴がなく、現在も独身で子供もいません。

彼女の人生は、結婚という選択をせずに、独自の道を歩んできたことが特徴的です。

過去のお見合い経験

黒柳さんは過去に3回のお見合いを経験しています。

そのうちの一度は結納まで進んだものの、彼女は「運命の人との出会い」を期待して結婚には至りませんでした。

また、ある脳外科医とのお見合いでは、相手の歩き方が気に入らず、結婚を断念したといいます。

最後のお見合い相手

最後のお見合い相手とは結婚を考えていましたが、相手の「結婚しても面白いものではない」という言葉に影響され、「絶対に結婚しなければならないわけではない」という考えに至ったのだとか。

結果、結婚までには至らなかったようですね。

アメリカ留学中のプロポーズ

黒柳徹子さんは30代の時、アメリカ留学中にプロポーズされましたが、日本での新番組司会のオファーを受け、仕事を優先して帰国したとメディアで答えたことがあります。

恐らく前述のアレクシス・ワイセンベルクさんのことを指しているのではないでしょうか。

黒柳徹子さんの結婚に対する考え方

黒柳さんは、結婚に対して「タイミングが合わなかった」という理由を挙げています。

彼女は結婚を否定しているわけではなく、2017年の番組出演時には「これから結婚したい」と発言しており、2020年には「結婚すること」を願っていることを明かしています。

理想の結婚相手

黒柳さんは、結婚相手に対して「尊敬できる人」を理想としており、年齢にはこだわっていないと述べています。

黒柳徹子さんの結婚観は、彼女の自由な精神と人生観を反映しています。

結婚という一般的なライフステージを経験していないことが、彼女のユニークなキャラクターを形成する一因となっているかもしれません。

今後、彼女が結婚するかどうかは未知数ですが、彼女の幸せを願うファンとしては、その選択を尊重し、見守ることが大切です。

黒柳徹子さんの隠し子について

黒柳徹子さんは、その長いキャリアと独特のキャラクターで多くの人々に愛されていますが、彼女の私生活に関する噂も時折浮上します。

その一つが、24歳年下の弟が実は彼女の隠し子ではないかという噂です。

隠し子の噂のネタ元

この噂は、黒柳徹子さんの家族構成に由来しています。

彼女には24歳年下の弟、貴之さんがいます。

黒柳徹子さんの母、黒柳朝さんが貴之さんを47歳で出産したことが、当時としては珍しい高齢出産であったため、一部では「実は徹子さんの子ではないか」という憶測が飛び交いました。

 噂の真相

この噂は、主にゴシップ雑誌「噂の眞相」によって広まりました。

しかし、実際には黒柳徹子さん自身がこの噂を否定しています。

彼女は、弟や妹が生まれた時期が自身のキャリアで最も多忙だった時期であり、「出産している暇なんてない」と述べています。

また、2020年のテレビ番組出演時には、「自身に子供がいないことを不幸せだとは思わない」と語っており、隠し子の存在を否定しています。

貴之さん自身も、この噂については明言を避け、冗談交じりにはぐらかしていたと報じられています。

これは、一般人である彼にとって、突然のメディアの注目が負担であった可能性があります。

黒柳徹子さんの隠し子に関する噂は、彼女の母親の高齢出産という当時としては珍しい事情から生じたものですが、根拠のない憶測に過ぎません。

黒柳徹子さんの結婚や歴代彼氏に関するまとめ

黒柳徹子さんは現在結婚はしていませんが、過去の恋愛をみると悔いなく自分を貫いたのではないでしょうか。

特にアレクシス・ワイセンベルクさんとの関係は大恋愛といっていいものだったと思います。

日本人とのお見合いなどで結婚寸前にもなったようですが、土壇場で断るあたりは黒柳さんらしいとも言えます。

まだ90歳でも元気で、とどまることを知らない黒柳徹子さん。

この年齢でも恋愛、結婚という話が飛び出してもおかしくないくらいに素敵な方だと思います。

 

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