ロサンゼルスドジャースへ、12年3億2500万ドル(約465億円)の契約で移籍が決まった山本由伸(やまもとよしのぶ)投手。
野球ファンでなくても、彼の名前は聞いたことがあると思います。
今年はWBCでの世界一、オリックスで日本一と頂点を極めた男の去就には多くの人が注目しました。
そこで気になるのは山本由伸選手の性格です。
いいのか悪いのか、まだ独身ということもあって、女性の関心が強いのも特徴です。
この記事では、山本由伸選手の性格についてまとめていきたいと思います。
山本由伸選手の性格について
まずは、占いの観点から山本由伸選手の性格を分析してみたいと思います。
山本由伸選手は平成10年(1998年)8月17日生まれの 年齢が25歳です。
山本由伸の生年月日から性格を分析
まず生年月日から性格を分析してみたいと思います。
1998年8月17日生まれの人は、創造性に溢れ、理論的な思考を持つ人物です。
独創的なアイデアを持ち、それを現実のものに変える力があります。
心に浮かぶ考えは、具現化されることで初めてその価値を発揮し、アイデアを内に留めることができず、積極的に表現し、実行に移すことで多くの人々を魅了します。
障害や困難を恐れることなく、むしろ解決策を見出すことに興奮を覚える人物。
困難に直面すると、冷静に分析し、本質を見極め、適切に対処する能力を持っています。
普通の人が動揺するような状況でも落ち着きを保ち、解決策を見つけることができます。
しかし、その鋭い洞察力は裏の性格としても現れます。
他人の本質や考えを見抜く能力を持っており、これが時には驚きをもたらすこともあります。
これにより、人間関係においては適切な行動を取ることができ、他者からの信頼を得ることが多いです。
しかし、すべてを察知する敏感さが、時には彼自身にとって負担となることもあります。
これだけをみると、ピッチャーとして成功している人としてピッタリの性格な感じはします。
冷静に自分を分析する達観した感覚は、一流プレーヤーには必須の要素かと思います。
山本由伸の姓名判断での性格
山本由伸さんの姓名判断でみると正確はどうなっているでしょうか。
意外ですが、まず総格は20画で大凶です。
ピッチャーとして上り詰めた人としては、大外れの結果といえるでしょう。
やること全てが裏目に出るというのが、この画数での運命ですが全く当たっていません。
性格としては、ものごとに慎重で冷静なアプローチを取るタイプ。
ただ、その冷静さが時折、冷たい印象を与えかねないので、気をつけたほうが良いかもしれないとのこと。
天からの助けや友人のサポート、タイミングの良さなど、すべてが揃わない場合があり、素晴らしいアイデアを持っていても、成功することは難しい星の下ということです。
何を試みても、すべてが上手くいくことはない、自分自身の問題、運の悪さ、周囲の妨害により、多くを失うことがあるかもしれないとなっています。
異性からの人気は高く、不倫や浮気には注意が必要、その点に気をつければ良い家庭を築くことができるとあります。
結構散々な言われようですが、姓名判断では性格も含め、運命自体全く当たっていない気がします。
山本由伸さんのように成功した人の占いが真逆だと、我々一般人も逆に勇気づけられるというか、占いがあくまで一つの意見にすぎないことがわかりますね。
山本由伸の血液型
山本由伸選手はAB型です。
AB型の血液型に関連する性格特徴は、一般的には次のようにまとめられます:
1. 理論的かつ論理的:AB型の人は、しばしば分析的で論理的な思考を持っています。
2. 創造的:彼らは独創的で創造的なアイデアを持ち、革新的な解決策を思いつくことがあります。
3. 責任感が強い:彼らは責任を持って物事に取り組む傾向があります。
4. 気分屋:AB型の人は気分が変わりやすいと言われることがあります。
5. 合理的:彼らは合理的で実用的なアプローチを好むことが多いです。
6. 冷静:緊張した状況でも冷静を保つ能力があります。
これらは一般的な特徴であり、実際これらの特性に必ずしも当てはまるわけではありません。
山本選手の投手としての資質に照らし合わせてみると、論理的、責任感、合理的、冷静という部分ではピッタリな気はします。
ただ、血液型と性格の関連は科学的に確立されているわけではなく、文化的な信念やステレオタイプに基づく部分が大きいです。
山本由伸の家庭事情
山本由伸選手の性格を考える上で、育ってきた家庭環境を考えるのは必然かと思います。
彼の家庭は、まず野球キャリアを形成する上で重要な役割を果たしています。
父親の山本忠伸さんは、県立東岡山工業高校出身で、社会人野球でもプレーしていたという情報もあります。
山本選手が野球を始めた『伊部パワフルズ』のコーチも務めていたということで、親子鷹で野球に取り組んでいたことがわかりますね。
山本選手は岡山県から宮崎県の私立都城高等学校に越境入学しており、家族のサポートあっての野球人生ということが垣間見えます。
また彼は母親の由美さんとの関係も良好で、普段から写真を送ったり、母の日にはきちんとプレゼントを贈るほど仲はいいようです。
家族の温かい支えがあってプロ野球選手まで昇り詰めた山本由伸選手の性格が悪いわけはないだろうと、容易に想像がつきます。
それだけに自身の嫁をみつけて、早く家庭を作ってほしいとファン目線で考える人は多いかもしれませんね。
山本由伸の周囲の評判
山本由伸選手には周囲のチームメイトやコーチなどの評判により、その性格を垣間見ることができます。
例えば、今年までオリックスでコーチを務めていた入来祐作さんの証言があります。
2年間ずっと彼をみてきて、浮かれることが全くない、とても真面目な性格であるとべた褒めしています。
日本一のピッチャーと呼ばれて久しい山本由伸投手、ピッチャーだけならあの大谷翔平投手よりも上と言われている逸材です。
多少横柄になっても誰も文句は言わないと思いますが、謙虚であることを忘れないようにしているのかと思います。
山本選手は若手のころ、一流か超一流かの選択で迷うことなく超一流になりたいと答えています。
超一流になるためには、周りからも愛されなくてはいけないという当時の担当スカウトの言葉を胸に秘めていたようです。
大谷選手しかり、超一流の選手は人格者であることが多いですが、彼もまとその極みを目指しているのかもしれません。
ブルペンキャッチャーの瓜野純嗣さんは、山本選手がプロ入りしてはじめて練習で受けたキャッチャー。
彼はそのことを今でも覚えているようで、こういう細かい記憶力も周囲の信頼を得る大事なポイントではないでしょうか。
他にほっこりするエピソードとしては、山本選手の大ファンを公言するタレントの本田望結さんのものがあります。
二人は新幹線で一緒になったことがあるようですが、本田さんは緊張のあまりすれ違った際はしっかり挨拶ができなかったとそうです。
その後目的の駅に到着する際にたまた少し目をつぶっていた本田さん、同じタイミングで山本由伸さんは改めてちゃんと挨拶しようと彼女の席のところまで来たのですが、寝ていると思いそのままスルー。
後に彼女のSNSへDMでそのことを伝えるという気の遣いようには、彼の優しさを見ることができます。
また特技はどこでもすぐに寝れることというのが、山本選手のメンタルの強さを表していると思います。
繊細な周囲への気遣いと、自分自身は図太い神経で何事にも動じないという強さを兼ね備えた、非常にバランスのとれた性格のように映りますね。
山本由伸について語るロバーツ監督
ドジャースのロバーツ監督は、山本由伸選手のブルペンセッションについて高く評価しました。
アリゾナの乾燥した気候が球の握りに影響を与える中、山本選手はその環境に適応しようとしていると言及。特に直球の制球力には言及し、山本選手の努力と賢明さを称賛。
また、大谷選手が山本選手の練習を見守ったことについても触れ、これを素晴らしいと評価しました。二人が野球やピッチングについて、笑いを交えながら話していたことから、互いにリスペクトし合っている様子が伺えます。
ロバーツ監督は、大谷選手のような実績のある選手が山本選手のブルペンを見ることが、価値のあることだとコメントしています。
山本選手の人柄に関しては、親しみやすく、おおらかな性格を持ちつつも、強い闘争心を内に秘めているとロバーツ監督は語っています。
好奇心旺盛で観察力が高く、短期間で多くを吸収しようとする姿勢が見られます。
頭が良く、規律を守りつつ、マウンドではその強い闘争心を発揮すると監督は述べています。
山本由伸の少年時代
山本由伸の少年時代は、一言で言えば「普通の少年野球選手」の典型でした。
彼が初めて野球の道を歩み始めたのは、地元岡山の軟式野球チーム「伊部パワフルズ」に所属していた小学生時代。
そのころ、山本少年はまだ身長が低く、細身の体格をしていましたが、野球に対する情熱は誰にも負けなかったようです。
ただ、当時から技術的な器用さと遊び心を持ち合わせていたものの、特別目立つ存在ではなかったとされています。
中学に進学すると同時に、東岡山ボーイズに入団。
最初は主にセカンドベースとしてプレイしていた山本少年は、チームの必要に応じてピッチャーとしても活躍するようになります。
彼のプレイスタイルは、剛速球を投げるタイプではなく、むしろコントロールと緩急を利用した投球で知られていました。
当時から彼のトレードマークとなる大きなカーブは、決め球として活用されていたとのこと。
コーチや同僚たちは、山本少年が怒られるギリギリの線を要領よく立ち居振る舞い、時には可愛らしい笑顔で周囲を和ませていたと語っています。
エースナンバーを背負うこともなく、キャプテンになることもなかった山本由伸選手。
控えめな性格であったことは、少年時代を知るチームメイトの貴重な証言だと思います。
山本由伸の入団会見からみえる人間性
山本由伸投手は、ドジャースとの12年契約についての入団会見を行いました。
ドジャースタジアムで背番号18のユニフォームを着用し、英語でスピーチを交えながら感想を述べました。
山本選手は、ドジャースへの移籍理由として、勝利への強い願望と継続的な成功への志向を挙げ、チームの勝利への強い意志を感じ取り、自身の野球人生をドジャースに託す決意を固めたと語りました。
また、ドジャースとの面談の印象については、チームの雰囲気が良く、フロント陣に信頼感を抱いたと述べました。
日本人投手としてのドジャースの歴史も触れられ、前田健太などの選手が影響を与えたと語りましたが、これが移籍を決めた理由ではないという率直な意見も。
生活環境の変化や中4日のローテーションへの適応についても言及し、これらの挑戦に対応するためにチームと協力して取り組む意向を示しました。
大谷翔平選手のドジャース選択も、彼の決断に影響を与えた要因の一つであることは認めています。
山本選手は、ドジャースファンに対して勝利への同じ願望を共有し、全力プレーを見せたいと述べ、また、大型契約に対する感謝の気持ちと、期待を裏切らないように頑張るという決意を表明しました。
ロサンゼルスでの人々との交流についても触れ、ドジャースタジアムの印象に感激したことを明かす一面も。
またドジャースファンというわけはなかったと正直に述べるあたりも好感があったようです。
会見時の服装も、この日のために用意したものではなく、別のイベントでも着ていたスーツ。
セレブだと毎回違う服装をすることに気を遣う人も多いですが、いいものを恥ずかしげもなく着回す普通の感覚を持ち合わせているところはファンに好評だったようです。
終始笑顔で受けこたえる山本由伸選手の印象は、アメリカのメディアでもポジティブに捉えられたようです。
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山本由伸の実力
山本由伸選手は、22年の時点で成績は16勝6敗で最多勝、勝率.727、防御率1.21、そして169の奪三振で、これにより3年連続で野球界の注目を浴びる「投手4冠」を達成しています。
この快挙は日本プロ野球史上初めてのことで、その上連続年での達成はさらに特筆すべき事項です。
また、彼は3年連続で全会一致の沢村賞も受賞し、その実力と才能を証明しました。
彼の成功の背景には、伝統的なトレーニング方法とは異なる、独特のアプローチがあります。
山本選手はBCエクササイズと呼ばれるトレーニング方法を採用しており、これは単に筋肉を鍛えるのではなく、体の深部に働きかけることに重点を置いています。
ブリッジや倒立を行うことで体のバランスを整え、やり投げやハンマー投げのトレーニングを通じて全身の効率的な使い方を身につけています。
このトレーニングにより、彼は力を込めなくても強力な投球ができ、試合の終盤でも球速の低下が少なく、登板後の疲労も軽減されています。
これらの要素が組み合わさり、山本由伸選手は日本プロ野球史上最強の投手の一人としての評価を受けるに至っています。
彼の卓越した技術と独特のトレーニング方法は、彼がこのレベルまで成長する重要な要因となっています。
もし彼がこの成績を23年も続けることができれば、彼の地位はさらに固まり、野球界における彼のレガシーは不動のものとなるでしょう。
*2023年も16勝6敗、勝率.727、防御率1.21、そして169の奪三振で投手4冠は三年連続になります。
山本由伸の性格に関するまとめ
日本を代表するピッチャーの山本由伸選手、ここまで成績がすごい人で悪い噂が出てこない人も珍しいのではないでしょうか。
プロ野球という上下関係の厳しい世界、いまだにハラスメントなども存在し、つい最近も楽天の選手がパワハラで解雇という問題も起きました。
そんな中で山本選手のようなクセのない、真っ直ぐな性格の人は貴重な存在ではないでしょうか。
ただ少し大人しめな印象があるので、来年からプレーするメジャーリーグで周囲の外国人の猛者たちとうまくやっていけるのか心配になったりします。
うまく順応し、メジャーでも成功をおさめるか、山本由伸選手の株がさらに上がるかどうか、来年が勝負の年だと思います。