三浦瑠麗さんは1980年10月3日生まれの政治学者です。
テレビやラジオでも、その知識を活かしてコメンテーターとして活躍しています。
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週末は軽井沢という誰もが羨むライフスタイル。
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三浦瑠麗さんの生い立ちは?人気コメンテーターになるまで
三浦瑠麗さんは神奈川県茅ヶ崎市出身で平塚で育つ。父親は心理学者の濱村良久さんです。
上には兄と姉、下には弟と妹がいる5人きょうだいの真ん中の子として育ちました。
1999年の3月に県立湘南高校を卒業。
国際政治学者・三浦瑠麗さんに母校の湘南高校を語ってもらいました。中学の時にいじめなどのつらい経験があり「外に脱出する以外に道はない」と選んだ高校。自由な校風が三浦さんを成長させました。私の知人にも湘南の卒業生はたくさんいますが、みんな魅力的な人たちです。 https://t.co/JpVCxEyQGC
— 小川一 (@pinpinkiri) August 21, 2019
学区外から湘南高校で入学ということはその頃から成績はずば抜けていたのではないでしょうか。
その後に東京大学理科Ⅰ類に入学しました。
しかし東京大学理科Ⅰ類は50人のクラスメイトの中に女子が2人しかおらず、男子と話が合わなかった三浦瑠麗さんは、プリントを自分だけ回してもらえないなどの嫌がらせを受けたこともあり、自然とキャンパスから足が遠のいていきました。
そして2001年4月に農学部へと進路を変更。
しかしここでは想像していたことと実際に学べることが異なっていたため、改めて進路を考え直すために留年することを決めました。
進路に悩み、他の学部の授業を受ける過程で三浦瑠麗さんは船橋洋一さんのゼミに参加。
そのゼミで学んだことがきっかけで政治学に感心を持つようになり、理系から文系へと転身して東京大学院公共政策学教育部専門修士課程へ進学し、国際政治学者の藤原帰一さんの下で学ぶことになりました。
その後は数々の論文で賞を獲得し、2014年から自分の政治的見解を『山猫日記』というブログで発信しはじめました。
この『山猫日記』は2015年に『日本に絶望している人のための政治入門』という書籍として文春新書から出版されています。
書籍の出版をきっかけに『ニッポンのジレンマ』という番組でメディアに初登場。
切れ味鋭い意見と美しい容姿が評価されて『朝まで生テレビ』に出演して以降、ほぼ毎回出演する人気コメンテーターとしてのステップを順調にのぼっていくことになりました。
Twitterでは誹謗中傷で炎上の嵐!それでも意見を発信し続けることができる理由
三浦瑠麗さんは日々、自身のTwitterで世界情勢や政治に対しての意見を述べています。
三浦瑠麗さんの鋭い意見には、毎日大量の誹謗中傷コメントが送られてくるそうです。
意見には関係なく容姿に関する悪口や枕営業で仕事をつかんでいるのだろうという誹謗中傷を送ってきた相手はミュートにしているそうで、ミュートにしている人数は1200人にのぼります。
女子プロレスラーの木村花さんがSNSの誹謗中傷を受けたことで命を絶った際には、追悼の意を示しながら、「自分もそうなっていたかもしれない。中傷する人に正義はない」「世に出ている人がどれだけの憎悪を浴びて生きているか考えてほしい」という意見を述べました。
SNSだけではなく、メディアでの発言も度々批判を受けている三浦瑠麗さん。
三浦瑠麗さんは批判を受けることについて「気にする方だ」としながらも、「批判を気にしても意見をまげるわけではない。他人から好かれるために生きているわけではない」とコメントしています。
さらに「自分のことを知っている人に理解してもらえれば良い。知らない人になにを言われても特に気にならない」とも述べていました。
三浦瑠麗さんの意思の強さは周囲の人の支えがあってこそのものなのかもしれませんね。
しかし2021年11月15日に三浦瑠麗さんはTwitterに投稿した内容が相手のプライバシーを侵害しているとして、東京地裁で30万円の支払いを命じられました。
切れ味鋭い発言が武器の三浦瑠麗さんですが、発言にはリスクが伴うものですね。
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保守系の人から責められる三浦瑠麗さん
特に保守陣営からの風当たりが強いように感じます。
衆議院議員の杉田水脈さんが以前「朝まで生テレビ」で共演した時に、他の男性出演者に収録の裏で甘えたような声で媚びていた三浦さんの様子を暴露していたことがあります。
しかしこれはその前に三浦さんが天皇陛下のことを今上と言ったことでバトルになったことへの腹いせのような部分もあるのかと思います。
あれほど申し上げてもまだ変なツイートが来るので申し上げますと、今上は主上と一緒で完結した敬称です。杉田水脈さんも昨日までご存知なかったようですが、自称保守の方々が古典を勉強しなくてどうするのでしょうかね。
— 三浦瑠麗 Lully MIURA (@lullymiura) October 1, 2016
結果として三浦さんが正しかったようですが、頭が良すぎると普通の人は知識の面でついていけないので、こういうところは損をしてしまう一面のような気はします。
ひねくれ者ですね〜
三浦さんと飯山さんが、同じ考えな事だってあるでしょう。
スルーすればいいじゃない😥
クリスマスで酔ってるのか? pic.twitter.com/2oYkt8dQOH— デクノボウになりたい(短縮形はデク) (@dekunobo_ni) December 25, 2021
また最近DHCの虎ノ門ニュースのレギュラーになっている飯山陽さんはかなりの頻度で三浦に噛みついています。
綺麗な女性同士の何か本能的な戦いのように傍から見ると思えてしまいます。
しかし炎上するということはそれだけ注目を集めて市場価値はあがるということにもつながり、逆にテレビなどへの露出は増える一方のような気はします。
三浦瑠麗さんの旦那がハーフ説や双子説など
そういう注目を集めて、しかも美女で頭も良いとなるとメディアは放っておかないわけで、三浦さんの妹が着物を着ている姿を取り上げ、「双子ですか?」というコメントを取り上げたり、旦那さんもイケメンの東大卒、元外務省でハーフという外見の話題、実際どうでもいいところまで記事になってしまう三浦さん的には望んでいない(たぶん)方向に行っているような気はします。
これは本人の計算というよりは、周りがどうしても気になって仕方がない、美人で頭のいい人の宿命のような気はします。
三浦瑠麗氏 夫は日米ハーフの東大卒元外交官 10歳娘はママ激似のディベート口調 https://t.co/96vYGzzyjk
— MSN Japan (@MSNJapan) March 9, 2022
反感を買う一方で羨ましいなあという非常にゴシップ要素の強い星の下に生まれたとしかいいようのない三浦さんです。
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三浦瑠麗の波瀾万丈、壮絶な人生。乗り越えてきた過去の悲しみ
三浦瑠麗さんは1995年、中学3年生だったときに学校からの帰り道で複数の男性が乗っていたバンに引きずり込まれて集団で性的暴行を受けたのだそうです。
当時子どもだった三浦瑠麗さんは家族を苦しめることになることを懸念して相談もできず、高校に進学したあとは自分で命を絶つことも考えるようになったと言います。
しかし大学であった将来の夫にこの件を打ち明けたところ、彼は黙って話を聞いて応援してくれたそうで、「自分は大切な存在であり、自由に行動してもいい」という気持ちを育てることができたと語っています。
2010年4月下旬、三浦瑠麗さんは夫との間に初めてできた長女を死産してしまいました。
亡くなったお子さんは22週を超えたところであり、身長は27cm、体重は410gしかなかったそうです。
悲しみに暮れた三浦瑠麗さんは、同じように子どもを亡くした母親たちが集まるインターネット掲示板を見たり、ベビー用品を販売しているウェブサイトを見たりして過ごす日々が続きました。
また自分よりも早く仕事に復帰しなければならなかった夫との間で生じた心の回復のタイムラグにも苦しめられたと言います。
長女と出産と同時に別れることになった2年後、三浦瑠麗さんは2012年に第2子である女の子を出産しました。
テレビでは切れ味の鋭い辛口コメントをする三浦瑠麗さんですが、インスタグラムで次女と過ごす三浦瑠麗さんは優しくてあたたかい母親としての顔を見せています。
普通の人とは違う体験を経た三浦瑠麗さんはコメンテーターとして活躍するだけでなく、書籍も数多く出版。
三浦瑠麗さんのコメントが人々の心に刺さるのは、その知識量の豊富さだけでなく、辛い経験も乗り越えてきた強さが滲み出ているためかもしれませんね。
国際社会が複雑になったとしても、人間自体は変わらない。どうしようもない状況を前に、何か解決策があるはずだという希望を抱く。子どもの犠牲を目のあたりにして肌が粟立つような怒りを覚える。そのあとの「報復」の甘美さ。私たち人類は、こんなことをずっと繰り返しているのだ。ー『私の考え』より pic.twitter.com/z9UBwThkQO
— 三浦瑠麗 Lully MIURA (@lullymiura) March 5, 2022
批判は続いても彼女への注目は変わらないような気はします。